エチュード

シューベルトとブラームスを結ぶもの
〜2つの歌曲をめぐって〜

[2002/05/19 第41回定期演奏会]

シューマン

シューベルトとブラームスは、生前には会っていない。 シューベルトが亡くなったのが1828年、ブラームスが生まれたのは1833年。会おうにも会えない。 しかし、この二人は作曲家シューマンによって一つの線でつながる。 シューマンが1838年にウィーンを訪れ、ベートーヴェンとシューベルトの墓に詣でた後、シューベルトの兄フェルディナンドに会い、 シューベルトの遺稿の山を見せてもらう。そして、その中から傑作、交響曲第8番《ザ・グレート》を発見する。

1853年、ドレスデンからデュッセルドルフに住まいを移していたシューマンはブラームスの訪問を受ける。 ブラームスは、自分の作品をシューマンの前で弾いてみせ、シューマンはたちまちこの青年にきらめく才能の輝きを発見し、 楽譜出版社に強く働きかけるとともに音楽雑誌でブラームスを紹介し、彼が世に出るきっかけを与えた。 ブラームスは、この恩義を生涯忘れず、シューマンの死後も残された妻のクララや子供達を援助した。

3つの「野ばら」

ドイツの文豪ゲーテが自らの経験をもとにして書いた名作「野ばら」には、一説によると154人もの作曲家が曲を書いているという。 中でもシューベルトの「野ばら」は、ウェルナーの作品と並んでおそらく最も有名なものであろう。 しかし、その音楽の中身は素朴なウェルナーの作品とは違い、様々な音楽的仕掛けが施されている。 一見、何気ない素朴なメロディーにみえて、実は絶妙な転調が施されており、それが隠し味となって聴き手に忘れ得ぬ深い印象を残す。 少年に愛され、やがて捨てられ傷つく少女のはかない姿をシューベルトはやさしく描いていく。 シューベルトの友人は、この曲をゲーテ本人に送ったが、ゲーテはこれを黙殺した。 ゲーテでさえ、この作品の新しさについていけなかったのである。

さて余り知られていない事であるが、実はシューマンとブラームスにも同じゲーテの「野ばら」に付曲している。 シューマンの「野ばら」は、無伴奏混声合唱の為の作品で、1849年、彼が39歳の時に作曲されている。 いかにもシューマネスクな響きに満ちた美しい作品であるが、どことなくよそよそしさを感じる。 言い換えれば絵画的といえようか。一方、ブラームスの「野ばら」は、それから更に9年後の1858年、 シューマンの遺児たちの為に作曲された。こちらは独唱曲であるが、シューベルトの作品よりも、 もっと素朴な雰囲気を湛えており、むしろウェルナーの「野ばら」に近い。

シューベルトの作品が、「大人の為の野ばら」であるとすれば、ブラームスのそれは「子供の為の野ばら」と言えるかもしれない。 ゲーテの詩「野ばら」は、いわば縦糸のようにこの3人を時空を超えて結びつけている。

3つの「野ばら」

近ごろ、世のお母さんたちは子守歌なんてものを子供たちに歌ってあげているのだろうか。 筆者が幼い頃には母親だけでなく、祖父も歌ってくれた記憶がある。 今でもそのメロディー(というか節)と歌詞はおぼろげながら覚えている。 子守歌は民謡のように母から娘へ歌い継がれてきたものもあれば、大作曲家によって新たに作られたものもまた数多くある。 シューベルトとブラームスは、偶然ながら芸術歌曲の歴史の上で双璧をなす「子守歌」を作曲している。 恐らく、2曲ともどなたもよくご存知であろう。 まず、シューベルトの「子守歌」は1816年、彼が19歳の時に作曲された。 ブラームスの方は1868年、彼が35歳の時、友人に男の子が生まれたお祝いに作曲されたものである。

シューベルトとブラームス、いずれも生涯、独身を通した。 シューベルトは、父親の経営する学校の教師を辞めてから31歳という短い生涯を終えるまで、 実に16回、住所を変えたが、一人で住んだのはわずか3度だけであった。 なぜか?それは、自分だけでは充分な生活費を稼げず、絶えず友人たちの家を渡り歩いていたからである。 (彼はいい友人に恵まれていたと言える。)勿論、恋愛もしただろうが、そんな状況ではとても結婚には至らなかったのだろう。 一方、ブラームスは、当時の音楽家としては珍しく、生前大きな成功を収め、経済的にも余裕があった (彼が大変な倹約家だった事も大きな理由であるが)が、彼もついに結婚する事はなかった。 結婚によって作曲活動が制限されるのを恐れた為とも言われている。 彼のモットーでもある「自由、しかし孤独」(Frei aber Einsamkeit)が最もその理由をよく表している。 という訳で、二人とも親としての視点をついぞ持つ事はなかった。 しかし、二人ともなぜあのように慈愛に満ちた作品を書けたのだろうか。

シューベルトは16歳の時に、ブラームスは32歳の時にそれぞれ母親をなくしている。 偶然にも、この2人の子守歌は母親の死後3年経って作曲されているのである。 母の死というものが、3年という時間によってやっと自分自身の中に受け入れられた時、 きっかけは違うものの、子守歌という詩(テーマ)に出会って音楽になった。

さて、2つの作品を聴き比べてみると、シューベルトの方は非常に宗教的とも言える崇高さのようなものが漂ってきて、 まるで聖母子をテーマにした中世の絵画を見ている気持ちにさせられる。 言ってみれば、少し浮世離れしている感がしないでもない。 これに比べてブラームスの子守歌は何と言うか、生身の人間としての母の存在を感じさせる。 聴いていて、より気持ちが安らぐのは正直ブラームスの作品の方かもしれない。 (勿論、聴く人にとって違った感想をお持ちになるかもしれないが。)